「後ろに並んでいる家族はアメリカ人じゃない?」
子供の学校休みを利用して家族で南アイルランドに行ったときのことです。子供たちも英語が大分上達し、言語に興味が出てきたのでしょう、空港でいろんな英語に聞き耳を立てて国当てゲームをしていました。母親がアメリカ人で、今イギリスに住んでいるのだから、その違いは分かるはずです。
「じゃあ聞いてみたら?」
自信を持って子供たちが聞いたその答えはノーでした。
「百五十年前のジャガイモ飢饉のとき、アイルランド人口の半分がアメリカに移住したんだ。アメリカとアイルランドの言葉が似ていてもおかしくないよ」
 アイルランド人だったその家族の父親がアメリカ英語はアイルランド語だとでも言いたげに説明してくれました。子供たちはがっかりしながらも、いい勉強をしました。旅行に出る前、アイルランドにはゲーリックというケルト系の旧い言葉が公用語だという話をしていたので、まさかイギリスの英語より分かりやすい言語をしゃべるとは思っても見なかったのでしょう。
 確かにRの音はイギリスとは違い、全くアメリカの巻き舌と同じですから、音だけ聞いているとアメリカ人に聞こえます。後で調べると現在のアメリカ人は三分の一がアイルランド人の血を引いているそうです。アメリカ英語の形成時期にアイルランドなまりが影響しないはずがありません。
「だからイギリス英語に近いオーストラリア英語とは大きく違うのか」
イギリスの流刑地だったオーストラリアの歴史を思い出し、私もやっと合点がいきました。
 それではイギリスの英語はどのようにして出来たのでしょう。さらに興味がわいてきました。保守的と言われるイギリスですが、英語の歩んできた道をたどってみると、何とたくましく柔軟にさまざまな言語を受け入れ、合理化されてきたかと驚かされます。   
 五世紀にドイツの一地方から侵入してきたアングロサクソン人によってもたらされた言語がその発端となりました。もともとはドイツ語だったのですね。それまでここに住んでいたブリトン人の話すケルト語は、新たな強敵の出現で北のスコットランド、西のウエールズなど、偏狭の岩ばかりで厳しい地方に追いやられることになりました。さらに西のアイルランドに、その中でもさらに西岸にケルト系のゲール語が今もひっそりと生きのびているというわけです。昔から起伏の少ないイングランド地方は文化の中心であり、肥沃で過ごしやすく、常に強い民族が支配してきたのです。
 その後ローマンカソリックのラテン語や
ヴァイキングのデーン語が異文化接触による合理化を促します。そして十一世紀、ノルマンの征服以後三百年も公用語はフランス語となり、英語は大衆の言語として底辺に位置づけられてしまいました。
 二重言語生活をしていると、言葉は便利な方に統一される場合と、逆に二つのニュアンスの違う言葉に分かれる場合があります。この時期牛を飼育するのは英語を話すアングロサクソン人であるのでox、それが肉となってはじめて支配者であるフランス系ノルマン人の口に入るので牛肉はbeefとそれぞれの言語で呼ばれることになりました。同じように羊や豚など二種類の表現がある単語がたくさんでき、語彙が豊富になりました。
 その後フランスとの長い戦争の間に英語が権威を取り戻し、十五世紀に活字を作る必要から、ロンドンを中心に標準語が形成され、現代に近い英語が確立したというわけです。文法は最終的にかなりシンプルとなり、ドイツ語の定冠詞が十六もあるのに英語は一つtheに単純化されたのです。そのため他民族になじみやすい素地ができあがりました。
 その反面多言語の影響を受けて、発音とリンクしないスペリングが大変多くなってしまいました。他の言語にはあまり見られないことで、イギリス人でさえよく間違えるようです。たとえばghotiと書いてfishと発音するという有名な冗談もあるぐらいです。
 一九七〇年頃こうした発音とスペリングの食い違いを是正しようとイギリスで大胆な試みがなされました。試験的に発音に即したPhonetic Englishを実際に学校で教えたそうです。日本語で言えばすべてひらがなにしてしまうようなもので、言語の微妙な味わいがなくなり、同音異語がたくさん消えてしまい、意味が不明確になってしまいました。結局数年で元に戻すことになったのですが、その教育を受けた生徒はいまだにスペリングが不正確で嘆いているそうです。
 しかしアメリカはこの問題について前向きですので、英語はまだまだ進化し続けるでしょう。革命というよりは、もっとスローペースの改善が徐々に進行するのではないでしょうか。

進化する英語
Phonetic English